。しかし、一緒にツーリングをしたり、買い物をしたり、釣りをしたりしている時、武蔵氏はふと、シンプルな言葉で物凄く深い自分自身の哲学をさりげなく語ってくれたりする。それとて、武蔵氏本人は無意識、「素」に違いない。本人は難しい話をしている気など毛頭ないだろう。 ある意味、武蔵氏の現役格闘技選手の時にこのこと、武蔵氏の精神的な深さなどを書いたとしたなら、イメージにそぐわなかったかも知れない。しかしこのコラムは武蔵氏・TOMO氏を特に愛して下さるファンのためのものだし、取りあえず現役格闘技選手は退いたのだから書いてしまおう。 そして武蔵氏がもしかしたら「全人類を日々の悩みから救ってしまう教訓になるかも知れない」と思っている。筆者としては、2011年の清水寺の「一年を表す言葉」には「素」を選んでほしいぐらいになっていれば嬉しいと思う。
「なるようになるさ」 何度も思うことだが、日本人の体格の武蔵が世界のスーパーヘビー級と85戦も戦うなど、ただ事ではないのだ。精神的に参ってしまう。ところがこの武蔵氏は、その世界で二度も世界の頂上決戦に上り詰めている他、WAKOのムエタイ王座のタイトルなども奪取してしまっている。 私が同じ立場に立たされたら間違いなく逃げ出しているだろう。 何と言うのだろうか、武蔵氏は「なるようになるさ」、「あるべきようにあるんだよ」、「何も特別なこと ...(次へ)
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