武蔵とTOMO 兄弟の伝説 ブラザーズ・オン・ザ・リング
 筆者:不動 武
 第一章 武蔵とTOMOのご先祖の凄い人たち
 掲載日:2010/07/02    ページ: 1 2 3 4 5 6 
氏について記しているので引用参照させていただく、尚、その引用参照させて頂く文章の出典は坂井誠一氏の「遍歴の武家」(吉川弘文館)であるという。この蜷川新氏は徳川家旗本五千石蜷川親賢の長氏として生まれ、徳川幕府滅亡の後、東大、東大大学院を卒業、日露戦争開戦の際には軍司令部つきの国際法顧問として活躍し、名古屋俘虜収容所付、樺太軍顧問して従軍する。戦後は旅順外国人財産整理委員を経て韓国の宮内府に6年間勤めた。1912年博士の学位を得てフランスに留学し、帰国後、同志社大学等に就任し国際法や外交史を教えている。
国際的に幅広く活躍しジュネーブの「国際赤十字赤新月者連盟」の創設者ともなり、かつ日本赤十字社の創設者にもなり、日本赤十字社から世界への使者として多大なる活躍をした。蜷川家から武蔵とTOMOの祖父、つまり蜷川浩が森家に養子に来て、二人の兄弟の名前が「森」となることにつながるのである。
日本赤十字社慰問使筆頭随員としてヨーロッパの最前線へ進み大戦終了後もヨーロッパに滞在しウイルソン提案によるカンヌ五大国赤十字代表、パリで開催されて赤十字社連盟規約に記名調印、ついで在ジュネーブ赤十字社連盟理事局理事局理事に使命され以後、連盟国際会議に連続出席したとあり、また風聞には吉田茂総理大臣とも懇意であったという。私は武蔵とTOMOの話に辿り着くために、蜷川新を調べたのであるが、その実績、功績の掘り出されること、「山の如し」である ...(次へ)