せんといて!」と思いました。最終的に勝てたから嬉しかったのは嬉しかったですけれどね。 ある時など、試合後、帰宅した武蔵を見たら「もうこのままでは失明してしまうかも知れない」という状態に顔が腫れあがっていることがあり、島田トレーナーに緊急で病院を手配して頂いて、全く動けない武蔵を三日間仕事を休んで看病したこともありました。お医者さんから説明を受けても、難しいことは分からないですけど、目の下が骨折していたということでした。 ――心配の連続ですね。 母 私は、試合はもう自宅のテレビででも観ることができませんでした。自宅のテレビで武蔵の試合を放送していても、テレビから「武蔵、危ない!」とか聞こえてくると、「うわぁ、今、うちの子が危ないんだぁ!」って恐くなるから、布団を被ってテレビの実況が聞こえないようにしたりして。本当に生きた心地がしませんでした。 ――母と子ですからね。そういう意味で思い出の試合というと 母 ワールドグランプリ日本代表としてでて、ミルコ・クロコップ戦でコーナーで倒れたところを足蹴にされたのを観たのがショックでしたね。「倒れたのは倒れた、負けたのは負けた」で試合のことで仕方がないんですけど、その上に足でやられたというのが、普通の母親の気持ちとしてはね。 後、レイ・セフォーと戦って負けた試合で、試合の後、鎌倉の姪と一緒に電車に乗っていたら、偶然、観客の方 ...(次へ)
|