武蔵とTOMO 兄弟の伝説 ブラザーズ・オン・ザ・リング
 筆者:不動 武
 第二章 武蔵とTOMOの父と母なのだ!
 掲載日:2010/08/16    ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 
のスポーツ新聞が大きく取り上げて下さってね。蜷川家は家系図が鎌倉時代から江戸時代まで、武士としての役職と名前がはっきり残っていますから。江戸幕府で旗本になるまでには勿論、関ヶ原の役にも出ています。
蜷川新が武蔵やTOMOの大祖父で、国際赤十字の施設の設立や日本赤十字の設立、海外での交流活動をやっていたんですよ。蜷川新の父親というのが江戸幕府の江戸の小姓組頭(こしょうくみがしら)という役割で、五千石の大旗本でね、今、東大の小石川植物園ってあるでしょ、あれが蜷川家の下屋敷の跡なんですよ。石高でいけば最高で八千石迄行ったようですけどね。
――それだけ凄い家系だとお父さんご自身「家名を大事に」とか言われながら育った感じですか?そういう家系から武蔵という世界的な格闘家がでたのも因縁かと思いますが。
父  いや、全然、家ではそんな話は出なかったねぇ。その蜷川新の父の小姓組頭という役職が常に将軍の傍にいる立場だったので、色々な実際の情報が伝えられているんですね。「徳川将軍 家茂が毒殺された」とか、そういう情報も伝えられてきているんですよね。歴史の中では「病死」になっているようですが、そういう情報を書きあげた本が残っています。

(著者挿入話:武蔵の大祖父蜷川新は江戸末期から明治、大正、昭和にかけて、国際赤十字の一員として、また法学者として大変な活躍をしており、遺している本には正しく生々しい ...(次へ)