ングのダメージで朦朧とし、周囲がグラウベ・フェイトーザとの準決勝戦の棄権を勧めるなか、武蔵が「戦う」意志を表明し、押し問答となり、当時のトレーナーが「じゃあ準決勝戦には出ても良いが、勝っても負けても、準決勝迄、決勝戦はなし」だと語った試合である。この時、武蔵は控え室でもまっすぐ歩けず、壁にぶち当たりながら歩き続け、こん睡状態になり、今度は試合時間になっても目が覚めなかったという状態だった。試合など到底できる状態ではなかった。この準決勝戦、武蔵は敗北を喫することになったが、実弟TOMOは語る。「あの酷い状態の中で、勝利の可能性のため、またファンのため、自分を待ちうけているリングのため、戦うことを即座に選んだ兄貴は侍だった」と。) ――近年では結局二度の頂上決戦まで行きました。 母 最初の世界大会の決勝戦は、あそこまで行くとは思いませんでしたよ。観に行ってなかったんですけど、TOMOから電話がありまして「兄貴がレイ・セフォーにも勝った、ピーターアーツにも勝った」と電話が入りまして、知人からも「これから武蔵決勝戦」と連絡が入りまして。「観に行けば良かったなぁ」と後になって思いました。だって、それまで、一回戦負けとかで、雑誌でもボロクソに書かれて、まさか、その武蔵が決勝戦まで進出するとは思わないじゃないですか。次の年は一回戦がレイ・セフォー、二回戦がガオグライ、「これはまた決勝戦だ!」と思いました。 ...(次へ)
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