のですよね。精神的な苦労。やっぱり、「怪我しないか?」という心配がいつもありましたね。「怪我しているのに次の試合の日程までに怪我が完治する見込みがない」、そういうのが辛かったですよね。 実際に側で観ていますからね。武蔵やTOMOが怪我をすることが一番怖い。振り返ると恐怖感と不安感ですかね。それと、ある程度な前の売れてきた武蔵が「今度の対戦相手レベルには負けられない試合だ」という感じになるともう、不安で、不安で。もう最後の韓国でのジェロム・レ・バンナとの試合まで、前夜のご飯がどこをどう通ったのか分からないぐらいです。試合のある日、私が仕事している間は、「もう今頃試合かとかは考えないようにしよう、思い浮かべないようにしよう」と思いました。試合でも危ないことが多かったでしょ。 ――お母さんの苦労があって「世界の武蔵」になって行く訳です。 母 ずっと大阪に住んでいたんですけれど、平成十六年に「東京へ来い!」という話がでて、まぁ大変でしたね。最初はこちらもまったく素人の家族ですから、マスコミで雑誌に変に書かれると腹が立ちましたしねぇ(笑)ボロクソに好き放題書く人がいますからねぇ(笑)まぁ、それがプロの世界なんでしょうけれど。 ――実際、危険な試合も多かったと思います。 母 曙さんの試合の時も、曙さんに後頭部叩かれて武蔵が一度、気絶しましたでしょ。あの時も「ワァ、試合止めてもうこれ以上やら ...(次へ)
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